Billy Joel / ビリー・ジョエル

Billy Joel / ビリー・ジョエル
Biography

ウィリアム・マーティン・ビリー・ジョエル(William Martin “Billy” Joel、1949年5月9日 – )は、アメリカのニューヨーク州サウス・ブロンクス出身のロック歌手、ピアニスト、作曲家。ポップで親しみやすいメロディ・ラインと、大都会に生活する人々を描いたメッセージ性の強い歌詞で、1970年代後半から1990年代前半にかけてヒットを連発した。全世界で1億枚以上のレコード・セールスを記録し、アメリカでのレコード総売上第6位のアーティストとなっている。代表曲に、「素顔のままで」、「アップタウン・ガール」、日本での人気が高い「ストレンジャー」、「オネスティ」などがある。血液型 は A型。

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Billy Joel / ビリー・ジョエルの代表曲

ピアノ・マン (原題、Piano Man)東京電力のCMに使用された。ビルボードチャート最高位25位。

ニューヨークの想い(原題、New York State of Mind)大都市に住む人々の生活と哀感を淡々と描いた曲。

素顔のままで (原題、Just the Way You Are)ビルボードチャート最高位3位。グラミー賞の最優秀楽曲賞(1978年度・第21回)獲得曲。トヨタ・エスティマのCMソング。TBS系『2時ピタッ!』 のエンディングテーマとして使用された。

ストレンジャー (原題、The Stranger)アメリカではシングル発売されていないが、日本では独自にシングル化され大ヒットした。ホンダ・CR-V(初代)のCMとして使用された。イントロで口笛を効果的に使っている。2010年にはアサヒ・ストロングオフのCM曲に起用され、Mark LennonがCM用にアレンジされた曲として使用されている。日本では、現在でも人気の高い曲であり、ワールドツアーの一環で、2006年と2008年に行なわれた来日公演でも、日本のみ特別に演奏された。

ムーヴィン・アウト(原題、Movin’ Out)TBS系『みのもんたの朝ズバッ!』エンディングテーマ。但し、音源はミュージカル「ムーヴィン・アウト」のものを使用しているため、歌っているのはビリー本人ではない。ビルボードチャート最高位17位。

オネスティ (原題、Honesty)ネッスル・ホットチョコのCMに使用(1978年)。また、1990年代には、ソニーのCMに起用された。ビルボードチャート最高位24位。

マイ・ライフ(原題、My Life)ビルボードチャート最高位3位。

ガラスのニューヨーク(原題、You May Be Right)ビルボードチャート最高位7位。

ロックンロールが最高さ(原題、It’s Still Rock and Roll to Me)ビルボードチャート最高位1位(2週:ミリオンセラー、ビリーにとって初の全米No.1);年間チャート9位。

プレッシャー(原題、Pressure)ビルボードチャート最高位20位。

あの娘にアタック(原題、Tell Her About It)ビルボードチャート最高位1位。2012年4月からはフジテレビ系列の情報番組「とくダネ!」のテーマソングとして使用されている。

アップタウン・ガール(原題、Uptown Girl)ビルボードチャート最高位3位。キリンビールCMソング。TBS系『王様のブランチ<』のオープニングテーマとして使用された。

ザ・ロンゲスト・タイム (原題、The Longest Time)1996年にTBSのドラマ『真昼の月』の挿入歌として採用された。ビルボードチャート最高位14位。

ハートにファイア(原題、We Didn’t Start the Fire )アメリカ史を概観した歌詞の内容から教育番組に使用されたり、教科書に掲載されることもある曲。ビルボードチャート最高位1位(2週)。

リヴァー・オブ・ドリームス(原題、The River of Dreams)ビルボードチャート最高位3位。オール・マイ・ライフ(原題、All My Life)2007年2月。リヴァー・オブ・ドリームス以来、約13年ぶりの新曲。

Billy Joel / ビリー・ジョエルの生い立ちと経歴

ビル・マーティンという名前でクラブを中心にライヴ活動を行った彼は、その後コロムビア・レコードと契約を更新。そして、1973年にアルバム『ピアノ・マン』で再デビューを果たす。表題曲が全米トップ30のスマッシュ・ヒットとなったことによってこのアルバムはセールスを伸ばし、彼にとって初となるゴールド・ディスク認定作品となった。『ピアノ・マン』と同じく、イケル・スチュアートがプロデュースを手がけた1974年発表のサード・アルバム、『ストリートライフ・セレナーデ』もゴールド・ディスクに認定されている。
1975年には、4枚目のアルバム『ニューヨーク物語』を制作する。このアルバムは、当初シカゴのプロデューサーだったジェイムズ・ウィリアム・ガルシオがプロデューサーとして携わっていたが、最終的にジョエル1人によって仕上げられた。翌年にリリースされ、彼にとってキャリア中唯一のセルフ・プロデュース作品となったこのアルバムは、後にヒット曲となる「さよならハリウッド」「ニューヨークの想い」などを収録しながらも、商業的には不振に終わっている。

1977年に発表された5枚目のアルバム『ストレンジャー』は、彼を一躍スターダムへとのし上がる大きな成功を収めた。ポール・サイモンのグラミー賞受賞作『時の流れに』などを手がけたフィル・ラモーンをプロデューサーに起用して制作されたこのアルバムは、全米2位まで上昇する大ヒットを記録。アメリカでは、2003年に各フォーマット総合で1,000万枚以上も売り上げ、ダイアモンドディスクに認定された。
「ストレンジャー」は、日本の70年代のディスコブームで、統一振り付けでそろって踊られた。曲冒頭の口笛が特徴的である。
出世作となった『ストレンジャー』にも収められていたのが、全米3位を記録した「素顔のままで」である。この曲は、1978年度のグラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞を受賞し、彼にとって30年以上のキャリアの中で最大級のヒット曲となっている。
1978年には、アルバム『ニューヨーク52番街』を発表。このアルバムで、彼は初の全米チャート1位を獲得しただけでなく、同年度のビルボードの年間アルバムチャートでも首位を記録した。グラミー賞の最優秀アルバム賞と最優秀ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の二部門を受賞するなど、その内容も高く評価されたこのアルバムは、1982年に世界で初めてコンパクト・ディスクとして発売された音楽作品としても知られている。
2枚のアルバムの成功を受け、1978年初来日公演が実現、翌年の来日公演では日本武道館2日間と日本で彼の人気が爆発した。

『ストレンジャー』『ニューヨーク52番街』の成功の後、1980年には『グラス・ハウス』が発表された。これまでのジャズを基調とした洒脱な作風から路線変更し、よりソリッドなサウンドに徹したこのアルバムでジョエルはグラミー賞の最優秀ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞する。3年連続で同賞を受賞した彼は常連の候補者となり、以後1983年の『イノセント・マン』まで連続してノミネートされている。また、『グラス・ハウス』からは5曲がシングルカットされたが、そのうち「ロックンロールが最高さ」は、彼にとって初の全米シングルチャート1位記録曲となった。

ケガに離婚と数々の災難が続いたビリージョエルだが、1982年に行われたツアー後のオフで滞在したサン・バルテルミ島で出会ったスーパーモデル、クリスティ・ブリンクリーと交際を始める。彼女がプロモーション・ビデオにも出演して話題となった1983年のシングル「アップタウン・ガール」は、これまで彼にとって主要なマーケットではなかったイギリスで大ヒットし、初の全英チャート首位に輝いた。この曲は、2001年にはウエストライフによってカヴァーされ、再びイギリスのヒットチャートの1位を記録している。
「アップタウン・ガール」が収められた1983年の『イノセント・マン』は、彼が10代の頃に慣れ親しんだ1950年代から60年代にかけてのオールディーズを基盤とした楽曲を中心に構成された極めてポップな作品である。このアルバムからは収録曲の半分以上の6曲がシングルカットされ、すべて全米トップ40ヒットになっている。『イノセント・マン』は、アメリカや「アップタウン・ガール」で人気に火がついたイギリス、日本などを中心にセールスを伸ばし、最終的に全世界で800万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。
1985年には初めてのベスト盤となる『ビリー・ザ・ベスト』をリリース。彼の12年のソロ・アーティストとしての軌跡を総括するこの2枚組アルバムは、アメリカで歴代5位の2,100万枚を売り上げたとされ、AC/DCの『バック・イン・ブラック』とタイ記録である。

長年に渡ってジョエルの作品を手がけたラモーンに代わり、ミック・ジョーンズをプロデューサーに起用した彼は、1989年にアルバム『ストーム・フロント』を発表する。このアルバムからシングルカットされた「ハートにファイア」は同年の年間チャートで10位以内に入る大きなヒットを記録し、ジョエルにとっては3曲目となるビルボードのシングルチャート1位獲得作品となった。また、『ストーム・フロント』も彼にとって『グラス・ハウス』以来となる首位を獲得している。
それから4年後の1993年には、ダニー・コーチマーがプロデュースを務めた『リヴァー・オブ・ドリームス』を発表し、前作に続く全米1位を記録。シングル・カットされたタイトル・ソングも英米共にトップ3ヒットとなる。また、このアルバム発表に伴い、1995年には8度目の来日公演を1月19日に大阪城ホールで行うも、この時阪神大震災に遭遇、この日の公演の収益金の全額を、同震災での被災者に対して寄付している。

『リヴァー・オヴ・ドリームス』発表後、ジョエルは現役ミュージシャンとしての活動からの引退を示唆する。以後、彼の活動はライヴを主体とするものとなった。1997年発表のベスト盤『ビリー・ザ・ベスト3』や1999年の映画『プリティ・ブライド』などに新曲として提供されたカヴァー曲以降、彼自身によるスタジオ録音作品は一切発表されていない。

2011年にはデビュー40周年を迎えた。4月にはそれを記念して2008年に行われた、シェイ・スタジアムのコンサートのDVD 「ライヴ・アット・シェイ・スタジアム」 が発売された。なお、海外ではBlu-ray Disc版も併発されている。初回生産限定でライヴ音源を収録したCD2枚と、本編とドキュメンタリー映像を収録したDVD2枚をセットにしたデラックス・エディションも販売された。 ドキュメンタリーDVDは単体販売されている。
2012年12月にマディソン・スクエア・ガーデン(ニューヨーク市)で行われた 12・12・12チャリティコンサートに出演。「マイアミ2017」や「ガラスのニューヨーク」など数曲を披露した。
2013年10月から11月にかけてイギリスでの「IN CONCERT 2013」が決定している。ロンドン、マンチェスター、バーミンガムで計4公演を予定。

ミュージカル『ムーヴィン・アウト』について

ジョエルの楽曲を基に制作され、2002年から3年に渡って上演されたのがトワイラ・サープ制作のミュージカル『ムーヴィン・アウト』である。2003年のトニー賞で、ジョエルとサープはそれぞれ最優秀編曲賞と最優秀振付賞を受賞した。このミュージカルは2006年7月から9月までの期間、東京厚生年金会館で公演された。

(Wikipedia)